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Miyajima News
2006年9月4日
克己復礼(ものごとは、なるようになる)・社員と飲む
【H18年9月のコラム(第60号)】
おかげさまで、このコラムもH13年10月に始め、今月号で第60号(丸5年)を迎えることになりました。
「継続は力なり」とはいいながら、なんの力にもなっておりませんが、出張先や、仕事中のふとした瞬間に、「このことをコラムに書こう!」と思いついて文章にしたことの積み重ねがこのコラムです。
忙しい中、読んでくださった皆さんに感謝し、これからも「わかりやすくて心に残る」文章を心掛けたいと思います。
アラスカの自然を愛した写真家 星野道夫さんの没後10年にあたって開催された写真展に大阪出張の折、立ち寄ってきました。
「人間のためでも誰のためでもなく、それ自身のために自然が息づいているのだ。
そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった」 星野道夫
(1)克己復礼(ものごとは、なるようになる)
今月のコラムのタイトルをどうするか・・・悩みました。
伝えたいことは「ものごとは、なるようになる」ということ。
しかしそのために大事なことは「克己復礼」。
どちらをタイトルにするか・・・結局上記のようにしましたが、最近特に「克己復礼」ということの大切さを思います。
「ものごとは、なるようになる」ということには、「じたばたしたって仕方ないから開き直るべし」という意味もありますが、今回言いたいことは「因果応報」すなわちあることの結果には、必ずそうなる原因(行動)がある、という意味です。
最近ダーウィンの「最後に生き残るのは、強い者でも賢い者でもなく、変化に対応した者である」(平成14年9月コラム参照)という言葉をあちこちで耳にします。
私たちの環境は、日々めまぐるしく変化しており、その何もかもに振り回されていると大変ですが、自らが対応すべき変化にも対応せず、それを見過ごしたり、そのことに文句ばかり言っていると、結果は恐ろしいほど間違いなく“破滅”に到ります。
また、時代や環境の変化に関係なく、人として、社会人として、あるいは経営者として、守るべきルールや姿勢を守らなければ、同じように結果は“破滅”の道をたどります。
わかりやすい例でいうと、捕まらないからといって違反を繰り返していたり、文句を言う人がいないからといって公私混同、酒や遊びの深みにはまっていってしまうことです。
あるいは成功につれ、謙虚さを忘れ、傲慢になってしまうことも同様かもしれません。
その結果は、必ず“破滅”に到ります。
恐ろしい話ですが、そういう例を自分もいくつか見てきました。
「ものごとは、なるようになる」いや、「なるべくしてなる」のです。
※上記は多分に自己反省の意味も込めております・・・(^_^;)
西郷南洲(隆盛)遺訓の中に、「総じて人は、己に克つを以って成り、自らを愛するを以って敗るるぞ」という言葉があります。
大変厳しい言葉ではありますが、本当にそのとおりとしか言いようがないなということを、昨今の経済界の悪いニュースや、自らの日々の仕事上の出来事を通じて感じる今日この頃です。
『克己復礼』:自らの欲望、怠け心に打ち克ち、世の中のルールに従うこと(論語・顔淵より)
昔中国の盤錦という町を訪れ、曽さんという財閥のオーナーが私の手帳に書いてくださった「座右の銘」です。
(2)社員と飲む
石原裕次郎と渡哲也 ハワイにて
このコラムの中でも何度か触れていますが、私はお酒を飲むことが好きです。
しかし、ついつい忘れがちなのが「社員と一緒に飲む」ということです。
社長さんの中には、社員と飲むなんて年1回の忘年会の時くらい。しかも社員が酒を注ぎに来るのが当然だなんて思って自分は一切上座を離れない人がいますが、僕はあんまり格好いいとは思いません。
何年も前に渡哲也の本を読んだとき、その中に石原裕次郎の思い出として
「酒を飲むのなら、俳優同士とではなくスタッフと飲めよ」という裕次郎の言葉がありました。私が会社勤めをしていた時の上司が裕次郎の大ファン(ある意味少し似ていた?)だったこともあり、なぜかこの言葉をとてもよく覚えています。
昔は社員に飲みに行こうと言うと、嫌がられていたように思います。
最近は自分が歳をとったのでしょうか?結構来てくれるんですよね(~o~)
酒のときには遊びの話をすべきで、仕事の話は無粋だという人もいますが、仕事の悩み、問題、そして会社の将来の夢を語る酒もいいものです。
世紀の大スター裕次郎にはかないませんが、社員という、かけがえのないパートナーとの酒を楽しみながら、語り合い、成長していきたいと思います。