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Miyajima News
2006年3月28日
ど真剣に「聞く」ということ・日光東照宮の「風水」
【H18年3月のコラム】
(1)ど真剣に「聞く」ということ
私が入れて頂いているロータリークラブという会があります。
ロータリーについては「金持ちおじさんの道楽クラブ」とか、いろいろ批判をされる方もおられますが、私は弱冠36歳の時に入会させて頂き、以来約8年間、忙しい日々の中で必死に時間を作って週1回の例会に参加し、大変たくさんのことを学ばせて頂いたと感謝しています。
先日、私が所属する彦根南ロータリークラブの初代会長であり、一代で一部上場、全国有数のスーパーを築き上げられた夏原平次郎さんが退会されました。
大変残念なことですが、夏原氏の退会の挨拶にこのようなお話がありました。
「私も86歳になりました、おかげさまで身体は幾度かの大病があったものの、今は元気になりましたので、できるだけ例会に出席したいと心掛けてきました。
しかし、どうしてもつらいことがあります。
それは『耳が遠くなって、人の話が聞こえない』ということなのです。あれこれ補聴器も試してみましたがあきません。
せっかく前でいいお話をして頂いているのに、それが全然聞こえない。こんなつらいことはありません。
大変申し訳ないのですが、そういう理由で退会を決意しました。」
私は「夏原さんは、本当に今までお客様や取引先、社員の方々、あるいはロータリーの仲間たちを含め、沢山の友人の声にど真剣に耳を傾けてこられた。
だからこそ会社もあのように成長したのだろうな。」と思ったのです。
以前に「無言の達人」ということを書きましたが、やはり人の話を聞く、心から聞く、ど真剣に聞くということがいかに大切かを改めて教わった気がします。
ご存知日光東照宮の「見ザル・言わザル・聞かザル」
(人の話を聞くことは大事ですが、人の欠点は斯くあるべしという教訓?)
(2)日光東照宮の「風水」
先日、群馬県への出張で東京から上越新幹線に乗ったら、「トランヴェール」という備え付けの冊子に面白い記事が載っていた。
「知られざる日光東照宮」と題された日光の特集記事だったのだが、今までなぜあんな東京(江戸)から遠い山の中に徳川家康は祀られているのだろうと思っていた疑問が、実にわかりやすく書かれていたので紹介します。
「遺体は駿河の久能山に納め、葬儀は江戸の増上寺にて行い、位牌は三河の大樹寺(先祖代々の菩提寺)に立て、一周忌を過ぎて以後、日光山に小さき堂を建て、勧請(かんじょう)せよ。神に祀られることで関八州の鎮守になろう・・・」
これは元和二年(1616年)、75歳で他界した家康が残した遺言だそうである。
その配置が上の図なのですが、そもそも日光山は、奈良時代に勝道(しょうどう)上人によって開山されたという関東最大の宗教的霊場である。
上の図を見ると、日光は江戸の真北に位置し、最初に遺体が埋葬された久能山からは、不死の山とされた富士山越しに結ぶライン上にある。
さらに久能山から方角を西にたどれば、縁のある鳳来寺山、位牌の置かれた大樹寺があり、その先には秀吉の墓があったとされる阿弥陀ケ峰、秀吉を祀る豊国神社があるという位置関係にある。
すなわち、家康を祀る東照宮は聖なる北極星が位置する真北から江戸に「気」を送り、不死の山である富士山越しに配置された久能山東照宮と、位牌のある大樹寺は、豊臣秀吉の西からの「気」をしっかりとガードする配置になっているわけである。
これだけでなく、記事には日光東照宮や江戸城を取り囲むあらゆる配置は「気」の流れ、すなわち「風水」を考えてあるとのことであった。
このような壮大な宇宙観があったからこそ、徳川家は家康の死後も260年余の永きに亘って天下を治めたのだという説明には、なるほどと納得させられた。
これとは比べ物にはなりませんが、私も会社で建物や大きな設備を計画する時は念のため「方位」だけはみてもらうようにしています。社員に事故や怪我など、万一のことがあってはならないという思いからです。
以前にも「サムシング・グレート」という題でコラムを書いたことがありますが、古来、人間は自分たちの力が及ばない世界があることを、本能的に知っている、そんな気がする、そんな面白い記事でした。
《参考》JR東日本発行「トランヴェール」2006年2月号より引用