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Miyajima News

2018年9月1日

性善説と性悪説

【H30年(2018年)9月のコラム(第213号)】 


新しい機械加工工場が8月末で完成しました(写真右端)
田んぼの稲穂のように実ってくれればいいなあ・・・(*^_^*)

1.性善説と性悪説

「人間の究極は善か悪か?」
この質問ほど無意味なものはないと思う。
なぜなら、人間である以上、必ず心の中に善と悪の両方を持ち合わせているからである。
もし善しか持っていなければ、その人は神様だ。
逆にどんなに悪人と言われる人でも、心の中には必ず真心(まごころ)を持っているものだ。
「盗人にも五分の魂」という諺があるけれど、うまく言ったものである。

船が沈没して溺れているとき、一つしかない浮き輪を他の人に渡してあげることができるか?
人が駅のホームから落ちたとき、思い切って線路に飛び込んで助けることができるか?
本当にお金に困っているとき、道にお金が落ちているのを見つけて交番に届けられるか?

正直どれも自信がない。

人間は弱い生き物である。順調なときには正しい判断や行動をとることができても、
苦しいときにはつい心が揺れてしまうものだ。そして後でそのことを悔やむ。
真面目な人ほど道を誤った自分を責めてしまい、自ら命を絶ってしまうことさえある。
決してその人のことを「性悪説」の一言で決めつけることはできないと思う。

ではどうすればいいのか?
それには日々の努力(精進)と反省しかないのではないか?
人間、よいことをすればよい結果が、悪いことをすれば悪い結果が起こるという
「因果応報の法則」があるが、毎日ほんの小さなことでも「よいこと」をしたいと心がけ、
それをおこなう。でもつい思ったようにできないことも多い。
それを夜眠る前に「神様ごめんなさい」と反省する。
その繰り返しが大事、そうすればそのうちに少しずつ「よいこと」ができる割合が
増えていくのだと思う。

一生は一度限り。その一生をよいものにできるかどうか?
「いのちのローソク」というよい詩を見つけたので、それをご紹介して今月のコラムとします。

「いのちのローソク」 

「人間のいのちは、1本のローソクに火をつけたようなものである。
燃えながら、照らしながら、刻々刻々と減ってゆく。
減ってゆくいのちを減らさぬようにすることは誰にもできない。
ただ、どこをどう照らしてゆくのか、これだけが人間に与えられた、
たったひとつの自由である。」

金子帰山老師(永平寺)

└誠一郎のコラム