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Miyajima News
2016年8月3日
うなぎ
【H28年(2016年)8月のコラム(第188号)】
社会人一年目の時、感動で涙した知立「井谷家」のうな丼
1.うなぎ
いつの頃からだったか、「好きな食べ物はなんですか?」と訊かれると、
「はい、うなぎと焼き飯です!」と即座に答えるようにしている。もちろん、
寿司もてんぷらも、焼き鳥もトンカツも、蕎麦もカレーも焼肉もしゃぶしゃぶも
どれもこれも大好きである。しかし、なぜ「うなぎ」と「焼き飯」なのか?
それはやはり子どもの頃の思い出からではないだろうか・・・と思う。
私が子どもの頃から、我が家では年に一度、土用の丑の日にだけは
大皿にてんこ盛りのうなぎの蒲焼を食べさせてくれた。ご夫婦でやっておられる
小さな料理屋さんからとってくれたのだが、今ほどではないにせよ、当時でも
やはり「うなぎ」はご馳走であった。それを「これでもか」というほど、そう、
うなぎだけでお腹が膨れるくらい、存分にうなぎを食べさせてくれたのである。
「最高の幸せ!」とはこのことである。
実はそれは今も続いていて、先日も土用の丑の日に母がうなぎを届けてくれた。
本当に贅沢で有難いことだが、こんなわけでうなぎの味は、長い年月をかけて
僕の脳味噌に強烈に擦り込まれてきたわけである。
その「うなぎ」に、ひとつ忘れられない思い出がある。
私は大学を卒業後、愛知県の会社に就職した。そこでは新人研修として
はじめの三ヶ月間は工場の昼夜二交替勤務を経験せねばならなかった。
私が配属された部署は、自動車のパワーステアリングのポンプを組み立てるライン
だったのだが、昼勤はよいとしても、夜勤が実にきつかった。特に夜明け前の
3時、4時頃になると、眠くて眠くて仕方がない。だから大声で歌を歌ったり、下半身を
作業台に擦りつけて必死に眠気と闘っていたものだ(変態ではなくマジです!)。
このときの経験は後々とてもためになった。「こういう工場勤務の方々が支えていて
くれるからこそ会社がやっていけるのだ」ということを、身をもって学べたと思う。
昼勤と夜勤は一週間交替だったのだが、夜勤が一週間終わった休みの日に、
同じ寮に住む同期の友人と「とにかく何でもいいから旨いもんが食べたい!」と町を
さまよい歩いていると、どこからか、たまらなくいい匂いがしてきた。
「こりゃ、うなぎの匂いだ!」と、匂いを辿ってまっしぐらに進んだ先で見つけたのが、
最初の写真にある知立(ちりゅう)の「井谷家」さんであった。
店先ではオバちゃんが団扇で炭火を煽りながら、大汗をかいて「うなぎ」を焼いていた。
二人は迷わず店に飛び込み、「これやー、これが食べたかったんやー!」と、本当に
涙を流しながら食べた。旨かった!!社会人一年生の時の懐かしい思い出である。
以来、出張先で旨そうなうなぎ屋さんを見つけると、つい足が進んでしまう。
全国に旨い店はたくさんある。どの店の「うなぎ」も、僕を「幸せな気分」にしてくれる。
しかし僕にとってのうなぎの原点は、なんといっても彦根の「とり卯」さん、そして
知立の「井谷家」さんに尽きるのである。
今まで僕が戴いてきたうな丼、うな重の数々(*^_^*)
皆さんはどれが美味しそうに見えますか???
※「焼き飯」については、また機会があれば書いてみたいと思います。
友人の石材屋さんに咲いていた紅白の睡蓮