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Miyajima News
2016年7月10日
トップの仕事とは?(イギリスのEU離脱問題に思うこと)
【H28年(2016年)7月のコラム(第187号)】
ご存知、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩です。今年4月に亡くなった木版画家、
井堂雅夫さんのギャラリー(金閣寺の近く)に行って買ってきました。
こんな風にはなかなか生きられませんが、毎朝これをみて心安らいでいます。
1.トップの仕事とは?(イギリスのEU離脱問題に思うこと)
「トップの仕事とはなにか?」
いろいろあろうかと思うが、ひとつだけ答えよと訊かれたら、僕は迷わず
「決断すること」だと答える。常に正しい答えを導き出すことは難しい。
また、今なら「それは間違いだ」と多くの人が反対することでも、5年後10年後、
いや、もしかしたら100年後に「あの決断は正しかった」と言われることもある。
私は彦根市に生まれ、彦根市で育った。
ご存知の通り、彦根は関ヶ原の合戦の先鋒として功を上げた徳川四天王の一人、
井伊直政が合戦後、家康の信頼を受け「西への押さえ」として配された土地である。
その近江彦根藩の第15代(※1)藩主が井伊直弼(なおすけ)だが、直弼は幕末の
江戸幕府代表である大老職として、勅許(天皇の許可)を得ぬまま日米修好通商条約に
調印し、「開国」を断行した。その結果、尊皇攘夷派の怒りに触れて1年8ヶ月後に暗殺
されること(桜田門外の変)になってしまったが、直弼は暗殺の危険を感じながらも、
特に護衛を増やすこともなく、いつもどおりに江戸城に登る途中で難に遭った。
いわば覚悟の死である。
開国を断行したことで、直弼が個人的に利を得たことは何もない。しかし直弼は
「いま国を開かなければ、日本という国が欧米列強の属国になってしまう」という危機感と、
「それをやり切れるのは自分以外にない」という使命感で、まさに命を懸けて決断した
のだと思う。そんな井伊家の彦根に生まれ育ったことを、僕は誇りに思う。
話を戻すが、ものごとを決断するにあたって、トップは周りの多くの人の意見に耳を傾け
なければならない。しかし、やはり最後決断するのは自分ひとりなのである。
この点、今回イギリスのEU離脱か残留かという判断を、国民投票に委ねたキャメロン首相は、
実に無責任だと思う。さらに呆れたのは、離脱派の急先鋒だった独立党のファラージュ党首
までもが、離脱が決定して早々に「自分の役割は果たした」として辞任したことである。
かつての大英帝国であり、紳士の国ともいわれる英国のトップが、こんな無責任でいい
のか?宙ぶらりんになったままのイギリス国民が可哀相である。
私のような中小企業の社長が論じるような問題ではないが、大きかろうが小さかろうが、
決断は決断である。決断にあたり、その判断を下す立場にある者は、常に自分の健康
状態を正しく保ち、たくさん勉強し、時代の流れを読み、多くの人の言葉に耳を傾けた上、
最後は命懸けで答えを出さねばならない。今回の出来事で、あらためてそう感じた。
※1.井伊直弼については、井伊家の第13代もしくは16代とする説もあります。
愛知県渥美半島の先端、伊良湖岬の写真です。
「海は広いな大きいなー♪」・・・いよいよ夏本番ですね!
「海よりも広いものは空、空よりも広いものは宇宙、宇宙よりも広いものは人の心」
広い心でいきましょう(*^_^*)